毒を吐く・・・

もちろん、猛毒を物理的に吐くというわけではない。

ただただ、悪口・愚痴といったネガティブな会話をするということだ。

何の生産性もないこの行為・・・

いったいどんな意味を持つのだろう?

意識の高い人は全否定

毒を吐く、悪口を言う、ひたすら愚痴を言う・・・

絶対に止めなさいと、巷の意識高い系の人達は、口を揃えて言っている。

確かにその通り・・・

愚痴を始め、ネガティブ発言、ネガティブ会話というのは、自分達にとって何の生産性もない行為である。

何せ、言ったところで・・・何も事態が改善したり解決するわけではない。

対象となる例えば上司だって、陰口叩いたところで変わるわけがない。

何も生み出さないこの行為・・・

それならば、もっと生産性につながる何かに時間を使うべきだろう・・・と論理的に諭してくれる。

確かにそう、確かにそう・・・なのではあるけれど。

毒を吐くのは自分の心を守るため

多くの人にとって、この毒を吐くという行為が、根本解決にならないということは分かっている。

そして、その毒を吐くという行為が、時間の無駄だということも、薄々気付いている。

しかし、本質はそこではない。

毒を吐くことでしか、自分の心を回復させたり、一瞬でも立ち直らせたり修復させたりできない人間も、世の中に入るのだ。

むしろそのような人間のほうが、この世の中には多いんじゃないだろうか・・・

それくらい、毒を吐いて、心を整理する・・・ということを、大切にしている人だっているのだ。

そして、毒の吐合いをすることで、お互いスッキリ心が整理されれば、それはそれでいいことなのではないか・・・と思うようになった。

もちろん、何か、生産性があるというか、何かを生み出すというか、そういうことには一切繋がらない。

だから、巷の意識高い系の人は、時間の無駄だとバッサリ切り捨てる。

そんな時間の使い方をするのであれば、もっと違うことに、もっと自分自身を成長させることに時間を使いなよ・・・と正論を言う。

それって、本当に正しいことなのだ。

そして正論だし、反論もできない理屈なのだ。

でも、世の中、理屈通り行っていれば、誰もこんなに困らないのだ。

世の中がもっと単純であれば、愚痴言ったって何にもならない・・・という言葉をみんなが受け入れる。

しかし、世の中ってもっと複雑なものだ。

だから、生産性のないものに時間を使うことがある。

それも自分の心を整理するためのもの・・・と思えば、一定の効果はあるのだろう。

自分にできることがあるとすれば、毒を吐く時間も持ちつつ、自分が成長する時間も持つ、両立させるということかな・・・と思った。