意識の高い系の人材

意識が高い系の人材は疲れる・・・それを改めて実感している。

そしてそれは、自分自身も周囲からすると、そうだったんだろうなと、改めて気付かされる。

理想は言う、しかし周りがついてこれない

意識高い系という言葉がなぜネガティブに捉えられるかというと、意識高い系の人間は往々にして、相手にこうあるべき!ということを押し付けて、変化することを相手にも強要することだ。

これまで、自分たちなりに頑張ってやってきた。

そして、それなりに成果も出してきた。

変化しなければならないことを感じていながらも、その変化に付いて行くにはどうすればよいか、分からない。

ただ、それでも一生懸命頑張ってきた。

そして、その一生懸命頑張っていることを、いきなり否定・批判する。

本来はこうあるべきでしょ!!!・・・と。

確かにそれはそう・・・本来はそうあるべき。

しかし、そうあるべきの姿に持って行くのは、往々にして、声を上げた意識高い系の人間ではない。

言われた人間や、総務系といった事務の間接部門だ。

そして、その変化させるための労力を評価されることはない。

評価される人間は、声を上げた意識高い系の人間だ。

これでは、周囲は仕事の負担だけ増して、手柄は横取り。

・・・こんな構図になってくる。

誰でも、今のこのやり方は間違っていると、思っている。

でも声を上げられれない理由がある。

それは、声を上げたら、自分の負担が間違いなく増えるとか、声を上げたら、皆に今以上の負担を強いることになると分かっていることとか、そもそも思いつかないとか・・・

スキルが足りなかったり、リソースが足りなかったり、理由は様々だ。

だから、意識高い系の人間は認識しなくてはいけない。

自分の発する言葉によって、組織にどんな影響を与えるか、どんな労力が増すことになるのか、そして今その労力が増すことは可能な状況なのか・・・

もし、意識高い系の人間が、成し遂げたいことがあるのならば、そこまで考えて発言して欲しい。

もちろん、そんなことやっていては変化を起こすことはできないと言うかもしれない。

しかし、何度も何度も考えなしに提案して変化させまくっていたら、結局は誰もついてこれない状況に陥るのだ。

こうあるべき、と言うのであれば、時間・リソース交渉してから

こうあるべき・・・というのは大切だ。

しかし、それをみんなに強いるのであれば、少なくとも時間・リソースを確保する交渉は、経営陣として空にして欲しい。

これからこんなサービスを持ち込みたい。

会社にはこれだけの効果がある。

それには、最初にこれだけの投資が必要。

その投資とは費用だけではなく、人材リソースの投資も含む。

その間、この仕事の量を減らして欲しい、もしくはこの残業時間は認めて欲しい・・・そのような交渉だ。

こんなこと言ったら、変化なんかさせられない・・・というのであれば、そもそも提案はしない。

それくらいの覚悟を持って、提案をして欲しい。

そしてこれは、自分自身に向けた言葉だ。

これまでの私は、意識高い系側の人間だった。

自分よりも遥かに高い意識の持ち主と対面して、今、反省しているところだ。