仮説検証、考えて言葉にすることの重要性

最近、何かトラブったり、課題にぶつかると、仮想の相手にずーっと頭の中で言い訳を続けている。

できないとか、穴があるとか、やりこめるとか、もしくはどうやって説得しようとか・・・

かなりネガティブな頭の使い方をしているのだが、もう1歩進めれば、とても重要なことなんじゃないかと思うようになっている。

人間は、普段考えていることしか話せない

誰の言葉かは忘れてしまったが、とても好きな言葉だ。

「人間は、普段考えていることしか話せない」

プレゼンの機会を与えられたり、何かを話さなければいけないとき、人は準備をする。

そして人前で話すわけだ。

ただ、たいていの場合は、準備期間なく話さなければいけないときがほとんどだ。

それは会話の流れだったり、突然の呼び出しだったり、いきなり会議で質問されたり、考えを振られたりするときが、ほとんどを占める。

その時に、自分の意見を話せる人と、話せない人、説得力のある人と、ない人に真っ二つに割れる傾向がある。

ま~、上手に、流暢に話すことはできなかったとしても、なるほどと思わせるような発言をする人がいる。

その人達というのは、常日頃から、それについて考え続けているのだろう。

そして、考えるということは、頭の中で会話をすること・・・

その会話した内容をベースにして、自分の言葉でその場に合わせて話しているのだと思う。

自分が人前で、自分の考えを話せる機会というのは、案外少ない。

それはポジションによっても違うし、与えられた仕事内容によっても変わってくる。

例えばある日突然、自分の席に経営陣がふらっとやってきて、「最近、仕事はどう?」と質問を受けた時、自分は何と答えられるか・・・

もしかしたら、その場で2分で自分の現状と課題、解決方法を語ることができたら、その解決方法に費用が掛かったとしても、OKが出るかもしれない。

何せ相手は経営陣、少ない金額であれば即決で判断してもらえる可能性がある。

その機会を生かせるかどうかは自分次第。

そして、その機会を生かすには、普段から様々なことを考え続けている必要がある。

そうしないと、いざという時話すことはできない。

頭を愚痴だけに使わずに・・・

頭の中で、仮想の相手と会話をする。

特に愚痴を言ったり、もしくは相手をやりこめるように練習したり・・・

実はこれも大変よいトレーニングだとは思うが、いざ実現してしまったときの、他の誰かとの関係性が悪化する可能性がある。

それよりも、せっかく考え続けているのであれば、誰かに何かを説明するトレーニングを続けるのがよいだろう。

そのトレーニングを続けることによって、相手に何かを聞かれたときでも、すぐに答えたり、もしくは、考えたことを応用して答えたり・・・ということができるようになる。

頭は使えば使うほど、瞬発力や論理性が鍛えられる。

逆になにもしなければ、どんどん衰えていく。

だから、普段から何かを考えること、考えをまとめること、誰かに説明することを延々やっていれば、やがて、相手から何を聞かれても、ある程度答えられるようになるはずだ。

このトレーニングは、今後も行っていきたい。