教育の仕方

最近、教育について考えることが多い。

部下を育てること、他部署の社員のITリテラシーを上げること、教育について、様々なことを考える機会が多いからだ。

人に教えることの重要性

人に教えることが、自分にとって1番学びがある。

巷でもよく言われていることだが、私自身もこれには自分で気付いていた。

人に教えようとしたときに、自分にとって1番学びが大きくなる。

理由は色々ある。

例えば人に教える時は、様々なことを準備してから教える。

そしてどう教えるかを必死に考える。

つまり、アウトプット前提で知識を習得しようとする。

自分が覚えたことを誰かに話すこと前提に知識を吸収しようとしたとき、学びは最大となる。

また、人に実際に教える時は、人に分かってもらう必要がある。

この分かってもらう・・・というのが案外重要で、準備した教材を読み上げるだけでは、実は分かってもらえないことが多い。

なぜなら、相手の知識のレベルによって、教え方を変えなくてはいけないからだ。

1+1の分からない子に、引き算を教える時は、前提となるところから教えなくてはいけないし、逆に掛け算割り算まで分かっている子に、足し算引き算を教えるのでは、訳が違う。

教える相手は基本的に社会人。

つまり知識のレベルに逆転が生じている場合が結構ある。

だから相手のレベルによっては、教えることを端折ったりもしくは付け加えたりと、コントロールしなくてはいけないのだ。

自分で全員は教えない

もう1点、重要なことがある。

それは自分だけで全員を教えないということだ。

例えば私が1人の部下に何かを教える。

そうして、また1人、教えないといけない人が現れたとき・・・

この時は自分では教えない。

私が教えた部下に、先生になってもらうのだ。

ま~、私より教え方のうまい部下はなかなかいない。

それには理由があるわけだが・・・その話はいずれ。

ただ、私が教えてしまっては、部下の教えることによる成長という機会を奪ってしまうことが多々ある。

そのため、私は1人を教えたら、後はその部下に教えさせ、それをそのまま教育の機会とする。

この方法は割と有効だ。

何せ、自分の時間を使わなくて済むし、部下の成長の機会にもなる。

私の時間は部下よりも重要。

それは、自分の給料が部下よりも高いからだ。

その私の時間を消費せず、私より単価の低い部下の時間を使って他人を教育する。

部下は人に教えることにより、成長の機会とする。

そんな教育の仕方が、今は1番有用だと思いながら、毎日教育について考えている。

もちろん、部下の教え方がまずければ、改める必要はあるが・・・そこは注意が必要だ。