雰囲気を乱す作業のできる人間②

自分の言葉が相手に届くかどうかは、相手にとって自分は聖人君子でなくてはならない。

・・・というか、聖人君子ってどういうこと?

それは、自分の言葉を聞いてもらえるようになるという関係性を築き上げることだ。

長期戦の覚悟が必要

自分の言葉を本当の意味で聞いてもらえるにはどうすればよいか?

自分の言葉を聞いてもらうということは、相手に自分の言葉を聞いて理解してもらい、行動してもらうことまでを意味する。

自分の言葉を聞いて、行動してもらえなかったら、それはただ自分の言葉が聞こえている・・・というだけの話し。

行動まで変革を起こしてもらわなければ、駄目なわけだ。

では、自分の言葉を相手が聞いてくれるというのはどういう状態か・・・

それはまず、自分自身が相手の言葉を聞くことだ。

そして共感すること。

相手に、自分はここにいてもいいんだという、安心感を与えることから始まる。

そんなことをせずに、いきなり自分の言いたいことだけ言い放ったら、相手は確実に距離を置き始める。

そして一旦距離を置き始められたら、距離を縮めることは途端に難しくなる。

まずは距離を置かれないことが重要。

別にこっちからベラベラしゃべることはない。

ただ相手の話しを聞いてやるだけでいい。

しかも、聞き方が肝心。

この人は私の話しをちゃんと聞いてくれている・・・と相手に伝わる聞き方で聞く必要がある。

相手に身体を向けて、うなずいて、その程度のアクションだ。

パソコンを打ちながらとか、目を合わせないとか、うなずかないとか・・・そんな聞き方をしていたら、どんなに内容を聞いていたとしても、相手は自分の言葉をちゃんと受け取ってもらえるとは思わない。

そして、自分の言葉をちゃんと聞いてくれない相手の話しを、ちゃんと聞こうとは思わない。

ところがこれを勘違いしてしまう人間がいる。

経営陣や上層部、マネージャー層の人間だ。

自分の立場や地位を利用し、ガンガン命令する。

しかし、部下の言うことには耳を貸さない。

・・・というより聞く耳を持たない。

もちろん部下の言うことが全て正しくて、全ての言葉を拾い上げるということには無理がある。

しかし、ある一定量の部下の言葉を聞く姿勢を持たなければ、部下というのは自分の話すことに聞く耳を持つことはない。

そしてこれは一朝一夕でできる関係性ではない。

日常の、普段からの接し方で全てが決まる。

セクハラ問題で、セクハラとは受け手がどう思うか・・・に左右されるという。

つまり日頃からの接し方で、同じことを言っても、この人はセーフ、この人はアウトと判断される。

このことと、本質的には一緒なのだ。

では、なぜ作業はできて雰囲気を壊す人が厄介なのだろうか・・・

それはまた次回・・・