周囲が忙しいときの戦力外の恐怖

IT企業時代によくあった自分自身の話し・・・

自分の周囲はとてつもなく忙しい。

しかし自分自身は忙しくない。

なぜなら、自分はその人達をフォローする術を身に付けていないから・・・

それは、私にとって恐怖以外でも何物でもなかった。

戦力外の恐怖

例えば、みんなで掃除をしたとする。

しかし自分は遅れてしまった。

結果、乗り遅れた。

その時、周囲はとても忙しそう・・・でも自分はその忙しさの中に、どう入って行っていいか分からない。

自分は何をやればいいのか、誰に聞けばいいのかも分からない。

結果、自分だけウロウロしている。

人の目を気にしながら・・・

それは、私自身にとって、恐怖以外の何物でもない。

私は、元々仕事ができなかった。

だから余計、途中から仕事に参加することができない人間だった

例えば私に仕事の実力があったとすれば、忙しい環境に放り込まれれば、自分から仕事を見つけたり、相手から声を掛けられ仕事を預けられたりしただろう。

でも仕事ができないから、周囲から声を掛けられることはない。

更に、自分はこんなに忙しいのに「こいつは何やってんだ?」・・・という目で見られるのが耐えられなかった。

冷静に考えれば

ま~、今思えば、本当は忙しい人達が、自分の仕事を分解して、新人や仕事ができない人間でもできる状態の仕事を作り、説明して、仕事をやらせる。

それを考える実行することが、忙しい人の役割なのだ。

だって、新人や仕事ができない人に、仕事の分解なんてできないのだから。

だから、本来は忙しい人は自分の時間を作り出すために、1回は頑張って、自分の仕事を分解して、簡単な部分、面倒な部分を誰かに任せるという工程は必ず必要なのだ。

でも余裕がないからそれができない。

結果、頭数には入っているが、戦力の低い人材を使いこなすことができない、更に言えば成長させることもできない、要因になっているのだ。

つまり順番が間違っている。

仕事ができるようになってから仕事を預けるのではない。

仕事ができないから、仕事を預けてやらせて、結果として仕事ができるようになる・・・というサイクルなのだ。

仕事のできない当の本人はどうすればいい?

しかしこれらは忙しい人が自分で気づかなければいけない。

そこが難しいところ。

なので、仕事ができない人というのは、周囲の人が忙しい時には声を掛けられない。

であるならば、忙しくない時に声を掛けるしかない。

自分にできる仕事はないですか・・・と。

仕事が忙しい人の時間を空ける動きをするのだ。

そうすることによって、少しずつ仕事が忙しい人から仕事をもらい、こいつは使える・・・と思ってもらうことが第一歩になるのだ。

正直、新人や仕事ができない人にとっては難しいことだが、それでもやらなければ、一生辛い思いをするだけなのだ。