言葉の重み

最近、仕事をしていると、言葉に重みってあるよな~とつくづく思う。
自分も、自分が話していることについて、今の自分の言葉は重みがあるとか、軽いな・・・とか、感じることがよくある。
言葉の重みってどこから来るんだろう?
発言と行動が一貫していることが重みのある言葉の大前提・・・
自分でも他人でも、話している内容に説得力があったりなかったりする場合がある。
例えば・・・
全く同じ言葉、言語を発していたとしても、この人の言えば心に響く、この人が言っても心に響かない・・・そんなことがよくある。
これっていったい何で決まるんだろう・・・?
これは、その人の発言と行動に一貫性があるかどうか・・・これに尽きる。
例をあげると・・・
社員は宝物です・・・
社員の幸せを第一に・・・
ESを第一に・・・
・・・etc
こんなことを連呼している経営陣がいるとする。
でもそんなことを公の場や発信をしているのに、
「なんでこんなことも、できないんですか?」
と、罵りまくったり
「明日の朝まででいいんで、やってください」
・・・就業時間過ぎてから
「就業時間の1時間前から会議しますんで・・・」
・・・あんた馬鹿か
そう言いたくなる。
口では社員を大切にすると言っていて、行動で社員を大切にしないことを示していると、言葉の重みはどんどん軽くなる。
自分の言葉を軽くする1番の方法は、言葉と行動を、
決定的に、
一切、
全く、
・・・一致させないこと。
これを忠実に実行することができれば、めでたく自分の言葉を軽くすることができる。
ま~実際のところ、ここまで振り切れる人って、世の中にそうはいないと思うけど、現実的に実在はする。
その人の言葉は、心に全く響かないし、なぜ響かないかを、その人に説明することもできない。
だって、自分では、説得力があると思っているんだもんな~
経験のない人間が発する言葉は軽い
ま~、ここまでの記述については、当たり前だとして・・・
もう1個、確実に思うことがある。
それは、自分で経験したり体験したことではないことを言っている人の言葉。
この言葉もこれまた軽い・・・
そして、今、私はこのことをに直面している。
自分がやったことないことを、さも偉そうな能書きをたれて、やらせなくてはいけない立場にある。
自分ではできないのに・・・
自分ではやったことないのに・・・
それなのに、情報発信しなくてはいけない。
あんまり自分の言葉が軽すぎて、自分自身嫌になる。
正直、今のこの発信・・・やりたくないのだけど。
なぜなら、この発信をすることによって、別に誰かの意識を改革できるわけでもなさそうだし・・・
なぜなら、自分の言葉には重みがないから・・・
会社命令とは言え、こんな役割を担っている自分の仕事・・・
どうすればよいのか・・・
日々、悩んでいるところである。
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