昔と今の情報量

最近、頼まれたことを、1分以上頭に置いておくと、そのまま忘れてしまう確率が跳ね上がっている。
これは、間違いなく、年齢によるものもあるだろう。
20代~30代の頃は、1分以上頭の中に置いておいても、思い出すことが比較的容易だったし、何かと関連付けて覚えていれば、1週間経っても忘れないなんてことも多々あった。
しかし、今は、1分以上頭に置いておいたら、もう二度と思い出すことはできない。
ただ、このことが、自分の年齢や能力の問題なのか・・・というと、最近違うのではないかと、思うようになってきた。
昔と今、あきらかに変わっているものがある。
それは、1日に受け取る情報の総量だ。
今の1日の情報量は、江戸時代の1年分、平安時代の一生分
あるユーチューバーが話していたことで心に残っている言葉がある。
今の時代に生きる人は、1日に受け取る情報量が、江戸時代でいうところの1年分、平安時代に比べると一生分に当たる。
なるほど、最近、次から次へと情報が頭に入っては抜け、入っては抜けを繰り返すわけだ。
昔は、それほど情報の行き来がなかったのだろう。
平安時代や江戸時代にはインターネットなんてものはなかったし・・・
東京ってどんな地名があるの???
なんて、関西の人が調べるとすると、知っていそうな人に聞いたり、とてつもない時間と労力と金銭を掛けて現地に赴いたり・・・そうしないと、情報なんて得ることができなかった。
因みにインターネットの普及前と普及後では、情報量が400倍~500倍違うと・・・これも誰かが言っていた。
いや、別に400倍でも500倍でもどっちでも構わないんだけど、要は、受け取る情報量が昔と今では比べ物にならないくらい増えているということだ。
そして、今後しばらくの間、情報はどんどん増えて行くだろう。
つまり、人間は、世の中にある全ての情報を自分の頭に入れて、必要に応じて取り出して使う・・・ということがもはや不可能な領域に入っているということだ、現代においては。
1分前に聞いたことを覚えられないのは、自分の記憶力も衰えているには間違いないが、1分以内に別の新たな情報が頭に入ってきて、上書きしているとも考えられる。
※電話、SNS、メール、LINE、通知・・・など
情報を使いこなす人間が勝利に近づく
結局、情報というのは、普通に生活していると勝手に入ってくる。
だからこそ、気をつけなくてはいけないことがあるのだ。
〇ゴミ情報を頭に入れない
〇自分が判断するために必要な情報だけ、頭に入れる。そのために媒体を選択する
〇自分の頭に入れておいた方がよい情報の取捨選択をできるようにしておく
・・・etc
情報と正しく付き合わないと、あっという間に自分の頭はパンクする。
そして、その情報は、今は自分の頭にある程度入れて、使いこなせるようになり、そこまでのレベルになったら、その知識を別な媒体に移行して(クラウド、メモ帳など)、考え方だけ頭の中に入れておく。
そして、その議論になった時は、考え方だけ頭に入っているので、後は必要なデータを、インターネットから拾ってきてコミュニケーションを取る。
こんなことが、出来るようになる人間が、今後重宝されるようになるだろう。
まとめると・・・
〇自分の頭に流入させる情報媒体は、常に確認・調整しておく(そうしないと無駄な情報が頭のリソースを奪う)
〇自分の頭は考え方とか、基礎となるもの以外は置いておかない
※それ以外のデータは全て頭の外、外部記憶媒体に頼る(覚えない)
〇情報と情報を組み合わせて新しい価値を生むことに重きを置く
〇重要だけで、記憶しなくてもよい情報というものが存在することを認識しておき、自分の頭は本当に必要なものにしか使わないようにする
・・・etc
言葉で言うのは簡単だけど、実践しようとすると難しい。
これは訓練が必要だ。
今から5年後、間違いなく今よりも情報量は増えている。
その時に、情報の海に溺れないように、今から準備をしておく必要があるのだ。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません