大規模障害の思い出・・・メールサーバーがダウンした日

社内SEとなってから、定期的に大規模障害を経験している。
大規模障害って嫌なもの・・・
我が社は基本的にシステムは外部委託しているから、障害発生時に社内SEが解決できる手段はほとんどない。
でも障害が発生すれば、社員は社内SEの携帯を鳴らす。
「このシステム使えないんだけど・・・どういうこと?」
「早く直してくれないんだけど困るんだけど!」
「いつ復旧するの?」
何を言われても、望を叶えて上げることはできない。
ただ外部業者が復旧してくれるのを待つのみ・・・
我が社の社内SEは、システム障害発生時ははっきり言って無力なのだ。
大規模障害の思い出・・・携帯着信履歴が上限に達した
思い出深い大規模障害としては・・・
ある日、定時を大分過ぎてから、会社を出た。
”ふ~、今日も疲れたな~”
そんな風に思いながら、車を運転していると、会社携帯が鳴った。
”今日はもう営業終了ですよ~”
・・・なんて思いながらも致し方なく、車を停めて、営業さんからの電話に出た。
「何かさ~、メールが開かないんだよ・・・これ報告しないと帰れないんだけど!」
私は、
「そうですか~・・・インターネットは使えますか?使えますか~・・・じゃ~ネットワークの問題じゃないから、再起動してもらっていいですか?駄目だったらまた連絡ください。」
・・・そして、その人話すことができたのは、それから2時間後だった。
電話を切ると、着信が3件入っていた。
嫌な予感がした。
”こんな短時間に着信履歴3件?ま・まさか・・・”
そう・・・そのまさか・・・
外部委託しているメールサーバーが障害を起こしたのだ。
メールは命の時代
今でこそ、Lineを始め、様々なコミュニケーションツールがあるが、当時報告ツールはメールしかなかった。
何と言っても夕方以降は、その日の営業活動をメールで上司に報告、上司はそのまた上司に報告と、報告リレーを行わなければならない。
そのメールがトラブったら、そりゃ~みんな必死に訴えて来るだろう。
報告できなきゃ、その日を終わることができないのだから・・・
社内SEである私は次の人に電話を掛けてるそばから、電話に着信が入り続ける。
私の携帯電話はついに、着信履歴の上限を超えたのだ。
そう、最初の方にもらった人が誰か、分からなくなったのだ。
ついに私は途中で着信者全員に返信するのを止めた。
致し方ない。
だって、このトラブル、自分ではどうしようもないもんな~
本当に偉い人を除き、私は電話掛けを止めた。
ま~中には、
「メールトラブってる?じゃ~みんなメール見ることもできないよね?ならいいんだ!上の人も見れなきゃ、送ってもしょうがないし。了~解!」
そんな風に、むしと報告できなくて良かったくらいの営業さんもいた。
大規模障害を通じて学んだこと
そんな話しは昔のこと。
今は、当時と比べて、メールの利用量も半分以下に減った。
メールが利用できなきゃ、他のコミュニケーションツールがある。
携帯電話を利用して一斉配信だってできる。
メールが命の時代は終わった。
今、思えば、こんな大規模障害もいい思い出だ。
そしてこんな大規模障害を通じて学んだことは・・・
大規模障害が起きたとき、生真面目に対応し続けると、自分は心が壊れることを学んだ。
それよりも一刻も早く、何らかの手段を用いて一斉配信による障害連絡をすること。
電話が鳴ってもそんなもんは無視。
とにかく障害連絡を多くの人にすることが先決。
大規模障害の初期段階はこれに注力すること。
そうしないと、自分の携帯電話がパンクするまで鳴り続け、どんどん追い込まれていく。
自分自身を守るためにも、電話に出ない判断・覚悟をすることが重要なのだ。
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