人に任せるか、機械に任せるか・・・

自分の時間を空けるには、大きく二通りの方法がある。

それは自分の仕事を、人に任せるか、機械に任せるか・・・

人に任せる

普通はこの考え方に辿り着く。

そのほうが、考えることが圧倒的にすくなくて済むからだ。

ま~、人間の能力には差があるし、引き継ぎ先の人間はたいてい自分よりも能力が下であることが多い。

手取り足取り教える必要があるが、その過程も重要だ。

その仕事に対する理解も深まるし、何より、その仕事に関して、属人化の呪縛から解き放たれる。

それに機械と違って人間は、曖昧とか、汲み取るとか、そんな言葉が通じるからだ。

一方機械は、曖昧とか、汲み取るとか、数値化できないものは一切受け付けない。

人間が言った通りに動くことしかできない。

だから、人間が人間に仕事を任せるということは、思いの外、楽な作業でもあるのだ。

ただ、ここで問題がひとつ・・・

自分の仕事を、任せる先、任せる人がいない場合だ。

機械に任せる

そう、この人手不足の中、自分の仕事を、ほい・・・と預けることのできる預け先なんて、そうそう簡単には見つからない。

だから、みんな仕事を抱えて二進も三進も行かなくなっているのだ。

ただ、もし自分の仕事を、何の感情も持たない、文句も言わない機械に任せることができたとしたらどうだろう。

機械は疲れない、文句も言わない、単純作業をものすごいスピードでこなすこともできる。

もし、機械に自分の仕事の2割でも任せることができたとしたら・・・

それは、自分の時間を生み出すことに等しい。

ただ、それには条件がある。

機械というのは、言われたことしかできない。

そして単純作業しかできない。

だから、機械が力を発揮できる状況に仕事を分解してあげなくてはいけない。

仕事の工程が1~10まであったとして、その全てを機械ができるようにするのではなく、3~6の面倒だけど単純作業・・・この部分を機械にやらせようと考えるのだ。

そうすれば、人間は恩恵を受けることができる。

これからどんな人が評価されるか・・・

私が考える、

これからの時代、どんな人が評価されるのか?

色々な意見があると思うが、1つに、自分の仕事や部署の仕事を機械に置き換えることのできる人間が評価されると思う。

それはつまり、自分や部署の仕事の工程を洗い出し、機械に任せられる部分を探し出し、最終的には機械に仕事をやらせるところまで落とし込む事ができる人間。

基本的に機械は単純作業しかできない。

でもその単純作業を圧倒的に効率的に、ミスなくやり切る力、どんなに動いても疲れない・・・それらは人間にはできない。

それらの単純作業が自分の仕事の工程にあったとき、思考停止だとどうしてもその単純作業を人間が行ってしまう。

莫大な時間を使って、またミスの起こる可能性も高いままに・・・

もしその作業工程の部分を機械に任せることができたとしたら・・・そして、その他の機械にはできない、価値ある仕事に人間は時間と労力を割くのだ。

この循環を作れる人材を、会社も世の中も評価していくことになる。

ただそんな人材になるにはどうすればよいのか・・・

それについては次回お話しする。