”生き字引さん”の力の借り方

社内SEをやっていると、様々な資料作成を依頼されることがある。

たいていの場合資料作成を依頼する人は、社内SEである私はパソコンが得意だから資料も上手く作ってくれるだろう・・・そんな風に思って頼んでいるだけである。

しかし、それは大きな勘違い・・・

そもそも資料作成には、前提として必要なデータを集める必要がある。

しかし私だって、会社にあるデータがどんな形でどんな場所に保管されているか、全部知っているわけではない。

そもそもそのデータの意味することを把握していないケースのほうが多い。

当然こんな状況では、意味のある資料作りなんてできっこない。

だから資料作成を依頼されたときに私がまずやることは、デットラインを確認した上で、可能な限り自分の力で探したり調べたりすること。そしてそれでも駄目だった時は、知っていそうな人に聞くこと・・・

ここで大事なのは、知っていそうな人をおおよそ把握しておくということだ。

各部署にひとりはいる生き字引さん”

どんな部署にも、その部署特有の情報を広く深く知っている人がいるものだ。
そしてたいていの場合、その人は部署長レベルの人間ではない。部署長がその部署に滞在する期間は案外短い。その部署のマイスターとなる前に、別部署への異動を繰り返し、出世街道まっしぐらだ。

そんな上の方の出世争いとは一線を引き、ある意味ひっそりと、目立たずに、その部署に長く在籍する人がいる。特に異動するわけでもなく、出世するわけでもない。しかし、あらゆる無茶振りになんだかんだ答え、特に失点もなく業務をこなす・・・ある意味、生き字引のような存在。

頼まれた資料を完成させるためには、結局、どんな場所にどんなデータが眠っているのかを完璧に把握した彼らの力が必要となるのである。

なぜ依頼主は直接その”生き字引さん”に頼まない?

なぜ依頼主は社内SEに頼むのか?
それは依頼主が、その生き字引さんの本当の力を把握していないからだ。

自分はこんなことができる、こんな能力があるとアピールすることをあまりしない生き字引さんは、だからこそ長く同じ部署に留まれる。自分の力をアピールできれば、出世街道を突っ走る可能性がある。

ま~、上の人はきっと、私が想像している以上に余裕がないのだ。ひとりひとりがどんな能力を持っており、それを組織としてどう生かせるかなんて、考える余裕はないのだろう。

社内SEはひとりでは何もできない

最近、つくづく思っていることがある。

それは社内SEは結局ひとりでは何もできないということだ。

資料をいくら格好よく作れたって、元データがしっかりしてなきゃ、ただのゴミ。結局、この資料を作るには、こういうデータが必要、このデータはこういう意味を持ち、ここに格納されている・・・そういう情報を持つ人間の力が最後は必要となるのだ。

社内SEは仕事柄、全部署と関わる。つまり各部署と広く浅い付き合いとなる。各々の部署の業務を、深く知ることは難しい。結局社内SEは、ひとりの力では完成度の高い資料は作れないのだ。

そのために、この部署のこの人はどんな能力を持っているのだろう?・・・と、常にアンテナを張っておく必要がある。だからこそ、生き字引さんの存在にも気づくのである。

困った時、生き字引さんに助けてもらうには・・・

じゃ~どうやったら生き字引さんの力を借りれるのか・・・

これはもう日ごろの積み重ねしかない。

例えば・・・

〇生き字引さんが愚痴を言ってきたら思いっきり共感しながら聞く(15分くらいは余裕で聞く、一緒に対象者の悪口も言う、なりふり構わず)

〇助けてもらったときは、結果を伝え、必ず感謝の気持ちを伝える(ごく当たり前のこと、ただし絶対に忘れない)

〇パソコンで分からないことがあれば、全力で対応する(借りを作る、こいつは役に立つと思ってもらう)

〇あなたは絶対に、何があっても、この部署には必要な存在です・・・ことあるごとに言葉・メールで伝える。

・・・etc

日頃からこんなことを繰り返しながら、生き字引さんにお近づきになる。

簡単に言うと、私と話したときは心地よくなってもらうのだ。

こいつと話せば自分の心がプラスになる。ストレス発散にもなる。生き字引さんにとってそんな存在になれたとき、私は彼ら・彼女らから力を借りることができるようになるのである。

むしろ私が困っている時、積極的に力を貸してくれるようになる

生き字引さんから信頼を得るのは地道で時間が掛かること・・・しかし社内SEの自分がこの会社で生き残るには、必要不可欠なことなのだ。