考えるとは自分の意見を持つということ

最近読んだ本で出てきた言葉・・・
「考えるとは自分の意見を持つということ」
・・・なるほどな~と思った。
著者:大石哲之さん 『コンサル一年目が学ぶこと』
考える総量が絶対的に足りてない
今の自分の仕事ぶりを振り返ると、そもそも考える総量が絶対的に足りていない。
例えば、パソコンの障害対応・・・
これまでの経験した知識をもとに、答えを引き出したり、ググって調べたり、誰かに聞いたり・・・そして覚えたことを知識にして、後はそれを財産に、対応する。
考える要素はほぼゼロだ。
ま~、障害は複合的な要因で起こることもあるから、時々考えたり、あれこれ試行錯誤することはあれど、ビジネスの問題解決型・・・と言った際には、さっぱり使えるレベルにはなっていない。
考えるということ
最近、経営陣から求められているのが、ある数値をよくすること。
そしてその数値をよくするには、KPIを設定することが必要なのだが、そのKPIの設定をどうすればよいのか、自分の中でさっぱり落とし込めていない。
表面的なテクニックばかりに目が行き、じゃ~自分はどのようなKPIを皆のために設定すればよいのか・・・分かっていない。
確かなことは、その数値を達成するために、前任者はその数値を毎日毎日事業所に言い続け、これができていない、あれができていないと言い続けていた。
その結果、今よりも数値は良かった。
ただ、そのやり方だと結果として長続きしないと思っていたので、私が引き継いだタイミングで数値を毎日事業所に言い続けることを辞めた。
結果として、数値は落ち続けている。
結果が全てのビジネスの世界・・・これでは前任者のやり方が正しかったと認めざるを得ない。
私のやり方は、ビジネスの観点から見ればあきらかに間違っているのだ。
だから、考えなくてはいけないのだが・・・その考え方をまとめる、ヒントになる言葉がこの本に書いてある、
「考えるということは、端的に言えば自分の意見を持つということ・・・」
この言葉に尽きるのだろう。
自分の意見を持つということ
自分の意見を持つということはなかなか難しい。
何せ、1度口に出した言葉はなかなか変えずらい。
ま~最近は、朝令暮改が良い意味と捉え始められている風潮があるが、今の会社においては、まだまだその空気が許される雰囲気ではない。
この間(1年以上前)言ったことと、全然違うこと言っているじゃねーか・・・
そんなことを、いつまでも言われることなんてしょっちゅうだ。
ただ、自分の意見をそれなりに持って発言している人が、経営陣からの評価は良いように思う。
何せ経営陣は勉強家だ。
世の中の朝令暮改に関する意味の変化を端的に捉えているのだろう。
自分が間違っていたと思ったらすぐに軌道修正・・・ただ下がそれに付いてこれないだけなのだ。
また、私は今、本を200冊読むとか言っているが、結局それは、目的のないインプット。
最初のうちは本に慣れるため、本を使いこなすために必要な方法かとも思うが、いつまでもこの方法を行っていては意味がない。
ある分野において、自分の意見を持ちたい、そのためにこの本を読んでインプットし、最終的に必要なアウトプットを適切な人に向けて発信する。
やりたいことはそれに尽きる。
そのアウトプットを行う時に、ただインプットした情報をそのまま伝えるだけでは説得力が全くない。
インプットした情報をもとに、自分なりに考えて解釈し、必要に応じてもっと情報を収集し、仮説検証を立て、時間内に自分の意見をまとめること・・・それを繰り返すことで、アウトプットする内容に、ある一定の説得力を持つこととなる。
情報は定性的な他人からの話しと、定量的な厳然たる数字があるとよい。
その説得力を持たせるための情報収集や話し込み・・・
考えること・・・
この本を読むことによって、自分がどこを目指せばよいのかが見えて来た。
考えるということは、自分の意見を持つということ・・・今後も自分の意見を持つための、動きをしていくようにしたい。
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