あの人よりも優れていると言わることについて

仕事をしていると言われるようになってきた言葉。

あの人よりもすごいとか、いいとか・・・そんなような言葉。

自分なりに日々成長するように努力しているし、社内では努力している部類に入ると思っている。

思い上がり、謙虚さに掛けるとも思うが、客観的に見ても自分は勉強しているほうだと思う。

ただ、あの人よりも優れていると言われて、素直に喜ぶことができなくなっている自分もいることは確かで・・・

保険

自分はとてもずるい思考を持っている。

この人は自分よりもあきらかに下。

この人がいるから、自分の駄目さが際立たない。

人間としてどうかと思うが、私はこれを間違いなく心の中で思っている。

ようは、この人よりはできている、この人よりは必要とされている、この人よりはいい人だと思われている・・・そんな状況を、自分は意図的に作り出している。

私は自分が思っていることを比較的言ってしまうほう・・・

だからこのことを人に話すこともある。

ただ、それも自分自身で計算しているのかもしれない。

この人なら話しても大丈夫、受け入れてくる、むしろすごいと思われるかもしれない・・・そんな俗物的な考えを自分はしてしまっているのだと思う。

ただ、自分はもともと仕事ができない人間だった。

人とのかかわりも上手くできる人間ではなかった。

それが、自分なりに努力して、徐々に色々なことができるようになってきた。

だから自分には見えるのだ、この景色が・・・

自分よりもできない人を常に私の周囲に配置するようにして、私の欠点の隠れ蓑として利用させてもらうという・・・そんな普通の人間は考えもしないような、最低な思考を持ってしまう。

ただ、それって自分には必要なことなのだ。

自分にとってはある意味保険だ。

この人よりはマシ・・・そんな状況を作り出すことによって、自分はあらゆる組織・コミュニティで生き残りやすい環境を作っている。

それが自分の生き残り方・・・

でもこの思考には1つ欠点がある。

それは自分よりもできない人が存在しない組織に放り込まれた時だ。

どんな人間にも、自分よりも優れている人は存在する。

そして、自分よりも優れたものを勝負の題材にされてしまった時、私は手も足も出なくなる。

なぜなら、自分は薄っぺらい人間だから・・・

中身がない、口先だけで生きていると、思ってしまうこともある。

だから、決して安心してはいけない。

自分なんて所詮、戦う土俵が変われば自分の居場所もなくなってしまうような、その程度の実力しか兼ね揃えていないのだ。

そのことを決して忘れてはいけない。

自分が生き残り続けるには、必死で努力を継続する必要がある・・・このことを忘れてはいけないのだ。