教育はできない・・・ただ環境は準備できる

あるビジネス系YouTuberの方の言葉・・・
教育することはできない。
できるのは、ただ学ぶ環境を準備できるのみ・・・
なるほどな~と思った。
教育はできない・・・とか
我が社でも教育が重要だとか、人に教える能力が大事とか、そんな言葉が飛び交っているし、自分でも教育というのは重要だと思っていた。
しかし、違和感を感じてはいた。
それは、教えを乞う本人に、成長意欲がなければ、結局教えても無駄なんじゃないか・・・ということだ。
これは昔の自分にも当てはまる言葉だ。
昔の私は、成長意欲のまるでない社員だった。
そして、先輩から教えていただいたことを、”はい”とは聞く。
しかし全然身にならない。
そんなことを繰り返していたため、先輩からよく、
「前に教えたじゃん!」
と怒られまくっていた。
何で自分は覚えることができないんだろう・・・そう苦しんだ時期もある。
今、考えるとなぜだかの意味がよく分かる。
要は本気で成長しようと思っていなかったからだ。
もし本気で先輩の言うことを理解し、成長しようという意識があったのならば、私は先輩から教えていただいたそのそばから、本気で復習していたはずだ。
もしくは、先輩から教えられる前に、予習して、先輩に教えてもらう場を復習として利用することをしたはずだ。
少なくとも、今ならそのようにしていたはず・・・
しかし、実際のところ、学ぶ意欲はなかったため、成長意識はなかったため、先輩からの教えの場を有効活用することができなかったのだ。
先輩から見ると、教育しても無駄になった・・・と思われて終了の時代だった。
この経験から私は、結局教育って、本人のやる気次第になってしまって、無意味なんじゃないか・・・と考えるようになった。
しかし・・・
環境を準備することはできる
どこかのことわざで、
馬を水辺に連れて来ることはできる。
しかし馬に水を飲ませることはできない・・・
というものがある。
環境を整えることはできても、そこから先、やるかやらないかはその本人次第・・・という意味だ。
そう、私達先輩が部下にできることは、成長する環境を準備するところまでなのだ。
後、やるかやらないかは本人次第。
教える側は神様ではない。
やる気のない人間を、神のようにやる気を出させることはできない。
それに気づかされる、YouTuberの方の言葉だった。
逆に言えば、環境を整えるところまでは、上司、先輩の仕事となる。
それを準備することが、部下を成長させることのひとつに繋がるということははっきりした。
部下を成長させる環境というのは、
〇作業を大量にやらせる
〇作業に没頭できる環境を作る
〇なるべく人と話をさせる環境を作る
・・・など。
いずれも社会人初期に行っていた方がよいというものだ。
これが基礎となり、30代、40代になった時、その作業の1つ1つが結びついて、考えたり作り出す仕事ができるようになる。
まずは、成長させるための環境作りに注力する・・・それが第一歩となるのだ。
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