連帯責任だと思うけど・・・

前回も話したが、プロジェクトや課題が解決できないのは、個人の問題ではなく会社の責任・・・これは間違いのないところ。

最終責任は間違いなく経営陣。

経営陣も以前、起きていること全ては自分自身の責任だと思って(自責)として捉えるようにしている・・・ということを発信していた。

本当にそうなのかな~・・・と思ってしまうほど、目に見えた責任って取っていないように見えるのだけど、ま~それは置いておいて・・・

結局誰の責任ではなく、皆の力を併せてできるかどうか・・・

プロジェクトにしろ、課題にしろ、中心人物はいるわけだが、ほとんどの場合、その中心人物のみでは、ゴールや解決までには導けない。

だから皆の力が必要になるわけだ。

その時に、責任の擦り付け合いになるとゴールや解決への道は遠ざかる。

ま~気持ちは分かる。

プロジェクトや課題というのは、通常業務とは掛け離れたものとしてやってくる。

要は追加作業だ。

自分の成長の場だの、会社のためだの綺麗な言葉を並べたった要は余計な仕事であるには代わりはない。

余計な仕事をやる余裕がなければ、敬遠したり冷たく断ることだって出てくるだろう。

しかし中には、絶対にやらなければならないことだってある。

その事項に対して、中心人物のやることは、どれだけ参加者を一体化させることができるか、そして参加した人に、どんなことをやって欲しいかを明確に伝えることに尽きる。

その2つだけやっていれば、もしくはその2つを達成するためだけの動きに注力していれば、プロジェクトは進んでいくものだと思う。

特に、参加者を一体化させること、要は皆で力を合わせて頑張ろうという雰囲気を作り出すことができるかどうか・・・

それさえできればゴールにぐっと近づく。

だから、いかに非協力的な態度を取っている人がいようとも、その人の力が必要なのであれば、お願いしたりおだてたりして、その人を巻き込んでいく必要がある。

話していく中では意見の対立は多々あるだろう。

その時、反対意見の者同士だったとしても、ただ批判するのではなく、どうやったらこの案件のゴールへ近づけることができるかを、お互いに本気で考えて意見を出し合うことが重要だ。

ただむかつくからとか、意見が違うから・・・という理由で徹底的に痛めつけたり論破したって意味はないのだ。いやむしろそんなことしかできない人間はそのプロジェクトには入ってはいけないのだ。

チームワークを乱すことしかできないメンバーがいるということは、それだけそのプロジェクトが暗礁に乗り上げる確率が高くなる。

中心人物となる人材はその辺りも見極めながら、参加者の人選を考えていく必要があるのだ。

また、そのプロジェクトに参加したメンバーも、ただ批判するのではなく、そのプロジェクトを前に進めるためにはどうすればよいかを考え、最終的には自分の成長につながるのだと信じて、考えながら動いていくことが求められるのだ。

連帯責任という言葉があるが、そんな言葉は、最後の最後に出てくる当たり前のただのフレーズ。

問題はそこに辿り着くまでの道筋を皆で楽しめるかどうかなのだ。