飲みニケーション

コロナの感染リスクの中で生活が始まって2年。

その間、大きく変わったことの1つに会社の飲み会が激減したこと・・・

そのため、他の社員と親睦を深めたり、愚痴を言い合ったりする機会がなくなった。

そして、そのことは、仕事の人間関係にも少なからず影響している。

ただ、最近、少しずつ飲みニケーションの機会が増えて来た。

愚痴を言うなと言うけれど・・・

愚痴は何の生産性もないと言われている。

そりゃ~もっともな話しだ。

意識高い系の人達から見れば、愚痴を言ったって何にも解決しない、時間の無駄・・・そのように言われるし、実際私も半分はその意見に同意だ。

ただ、ある程度の愚痴は、自分の心を守るために、必要不可欠なものだとも思っている。

何せ、自分の中にある不満やストレスを吐き出すには、愚痴を言うのが有効だ。

その不満や愚痴をすーっと心の中にため込んでいたら、やがて自分の心は壊れることになるだろう。

ストレス発散方法を確立するのはなかなかに難しい。

その中で、自分と同じ境遇にある人間と、飲みながら悪口や愚痴を言うというのは、とても気持ちのいい物なのだ。

もちろん、のべつなしに延々と愚痴を聞き続けるのは嫌だけど、お互いに愚痴を言い合える時間を持つことは、意識高い系とも言えない自分には、必要な行為なのでは・・・と思うのだ。

復活してきている飲みニケーション

1年前は飲みに行くなんて言語道断・・・そんな空気が蔓延していた。

しかし今はその空気にも変化が訪れている。

飲みに行くことができれば、飲みに行っても問題ない・・・そんな空気になってきた。

もちろんコロナの感染リスクはあるし、それが原因と思われる感染に陥ってしまった時は、周囲からもある一定の軽蔑の目で見られるかもしれないが、そんなことはすぐに忘れられる。

今は誰しもがコロナに感染しても、そこまで変な目で見られることもなくなっている。

・・・であるならば、飲みニケーションもある程度の回数、行ってもよいと思う。

そうする中で、親睦を深めたり、自分の心の憂さを上手くはらし、その上でまた嫌な仕事に取り組むエネルギーを作り出す。

そんなことが必要なのだ。

愚痴の言い合いは何の生産性もない・・・でもそれでお互いが楽しい時間を過ごせればそれでいい。

今は、楽しいと思える時間が少なすぎるのだ。

少なくとも今の会社環境は・・・

だから、自分達で楽しい時間を作り出すしかない。

飲みニケーションは、これからも上手く利用していくべきなのだ。