仕事にモチベーションは必要か?

モチベーションの話しになると、経営陣が、

「モチベーションって必要?いらないよね!」

と始まる。

一方、社員側からすると、

「仕事をする上でモチベーションは必要!そのモチベーションを軽視する方針ばっかり会社が提示するから困る!」

こんな議論が時々勃発して、解決もせずに、なし崩し的に終息する。

そしてまた議論が勃発して・・・

これの繰り返し。

では、私のモチベーションに関する考え方をまとめてみた。

必要、不要の議論に力を使うべきではない

私も少し前まで、仕事にはモチベーションが必要だと思っていた。

そして、実は今もその気持ちは残ってしまっている。

これまでずっと、モチベーションは重要だと、言ってきたし、思ってきた。

モチベーションがダダ下がりの状況ではいい仕事はできない。

だからなるべく自分のモチベーションが下がらないように、もしくは上がるように、そんな努力をしてきたわけだが・・・

でも、最近この考えに変化が現れてきている。

モチベーションに関する私の考え方とは・・・

「社員のモチベーションが低い状態だったとしても、利益を生み出せるビジネスモデルにすることを、究極の目標にすること」

これが、今の私の考えだ。

モチベーションが必要だ、不要だの議論ではなく、モチベーション不要で利益を出せる状態に会社を持って行くことに力を使うべきだ。

この考えに至った理由

モチベーションという言葉でググったりYoutubeを検索すると、そりゃ~たくさんの検索結果が出て来る。

世の中の人が、どれだけモチベーションの維持に日々注力しているのか、改めて知らされる。

だからこの手の需要は枚挙にいとまがない。

それだけ、みんな、モチベーションという言葉には振り回されて生きているのだ。

ただ、もし自分が経営者の立場だったとしたら、どう思うだろう?

もし、社員のモチベーションによって、会社の利益が左右されるような状況だったとしたら、それはとてつもなく恐ろしいことだ。

モチベーションが下がる要因なんていくらでもあるからだ。

仕事で、

ミスした。

上司に怒られた。

パワハラ受けた。

・・・etc

更に、プライベートの事情を会社に持ち込まれるケースだってある。

身内で不幸があった。

恋人と別れた。

飼ってたペットが死んでしまった・・・

・・・etc

特にプライベートの事情で、モチベーションを下げられてしまったら、会社としてはできることは少ない。

だから、モチベーションに左右される社員は不要だと、経営陣は考えるのだ。

なるほど、確かにこう考えると、モチベーションというのは不要だろう。

一方、社員側は・・・?

一方、社員側としては、仕事はできるだけ前向きに取り組み、みんなと楽しく、取引先とも楽しく・・・そんな心持で仕事ができたほうが、成績が上がるに決まっている。

君は一体何やっているんだ!

・・・と上司に怒られたら、モチベーションはダダ下がり。

でもそのダダ下がりにしてしまった当の上司本人から、これはどうなってんだ、何でできないんだ!と詰められる。

社員からしたら、自分をこんな心の状態にしておいて、よくそんなことが言えるよな!・・・と思うだろう。

つまりモチベーションというのは、確かに上がっていた方が、よい仕事ができるのだ。

経営陣のように、背水の陣に追い込まれた一部の人達が、モチベーションがどうのこうの言っている連中を見下しているなんて、思ってもみないのだ。

モチベーションは数値化できない

経営陣にとって、モチベーションが脅威である理由は、それを数値化できる手段がないということ・・・

結局数値でしかものを見る余裕のない人たちにとって、不確定要素が多すぎるモチベーションは、考えたくもない項目なのだ。

そこに時間を割いたって、結果が出るとは限らないのだから。

でも、どうせそこに時間を割くのであれば、モチベーションが不要だとしても、利益の上がる仕組みを会社が用意するべきだ。

この場合、会社というのは、何も経営陣だけのこととは限らない。

どうせ、経営陣なんて、現場にいない人達なのだから、どうすれば、モチベーションを上げなくても利益が上がる仕組みができるかなんて、分かりっこない。

だから、経営陣が聞くのだ、現場の人達に。

どうすれば、モチベーションに頼らなくても利益を生み出せる仕組みができるでしょうか?教えてください・・・と。

こうすれば、少なくとも社員はモチベーション高く、モチベーション不要の仕組みを真剣に考えてくれるでしょう・・・

この話しはもう少し深堀したいので、また次回。

次回は、モチベーション不要でも会社が利益を生み出せるにはどうすればいいのか?

考えなくてはいけない、仕組化と、人材教育についてお話しする。