情報システム部門に致命的に評価の低い部下が来たとき②・・・素直さが武器と思い知ったIT企業時代

致命的に周囲の評価の低い部下が来た時、再度社内から必要とされる人材にするために、その部下のITリテラシーを上げ、一般社員のIT問題を解決する人材にすることが近道。
そのためにはどうしてもその人材が持っていなければいけないものは何か?
そしてなぜこんなことを思いついたのか?
これを説明するために、私の黒歴史、IT企業時代の話しのおさらいをする。
地獄の日々だったIT企業時代
社会人1年目、私はIT企業に入社・・・ところが私はパソコンが全くできなかった。
IT企業に入ったのにパソコンができない私はどうなったかというと・・・
〇毎日上司・先輩に怒られる
〇毎日上司・先輩に呆れられる
〇毎日同僚に同情される
・・・プライドなんてものは根こそぎ刈り取られ、自分がいかにできないか、自分がいかに無能か、自分がいかに会社のお荷物になっているかを、思い知らされる毎日を過ごした。
小さいころから人に迷惑を掛けないように・・・と育てられた私にとって、存在自体が会社に迷惑を掛けていると自覚し続けることは、辛かった。
ただ、あまりにも行き過ぎた無能が故、会社の辞め方さえも分からず、毎日毎日会社に出勤することだけは続けた。
入社して最初の鬼門となるゴールデンウィークを乗り越え、3か月たって見習いを卒業(会社の規定上、在籍してれば勝手に卒業・・・)、半年たち、1年経ち・・・相変わらず会社には迷惑を掛け続けたが、それでも会社に行くことだけは辞めなかった。
今、思うこと・・・
毎日毎日周囲に迷惑を掛け続けた私だが、人から言われたことは否定せずに素直に”はい”と言い続けた。
そして、言われたことを必死にやる姿勢だけは見せ続けた。
ま~、結局できないわけだが、何を言われても”はい”という姿勢だけは崩さなかった。
いくら教えても全く成長が見られない私を、見限る上司、先輩ももちろんいたが、素直に頑張っている私に粘り強く色々教え続けてくれる先輩は何人かいた。
結果として、私はIT企業に10年間生き残り、そのスキルをベースに、現在の会社の社内SEのポジションに辿り着いた。
そして私は現在、自分のなりたかった職種、エンドユーザーの情報システム部門(社内SE)で仕事をしている。
きっと、素直に”はい”と言い続けることは、無能な社員の最後の光なのだ。
もしもここで、素直に”はい”と言える自分がいなかったら、全ての人から見放され、私は今頃路頭に迷っていただろう。
素直さというのは、人から教えを乞うためには必要不可欠な要素なのだ。
これだけは、どんな無能な社員でも、持っていなければならない。
逆にこの心さえ持っていれば、光が見えてくるのだ。
教え導く立場になった今
ITスキルは相変わらず低い私だが、それでも社内SEの中間管理職として、現在は仕事ができている。
部下も徐々に増えて来た。
20年前のIT企業時代には想像すらしていなかった現在のポジション。
偉そうにしているわけでもないが、そんな私も、ITスキルの低い部下を見るといつも思う。
これでもあの時の自分より数段マシだと・・・
いつも部下ができたときに言っていることは、
「どんな仕事をお願いされても、”はい”と言ってまずはやること」
無茶振り、雑用、虚しい作業・・・仕事というのは納得してやることのほうが少ない。
でも誰かがやらなくてはいけない作業。
そして、その作業を馬鹿にしたりスルーしたりする人間は、いつか必ず落とし穴に嵌ることになる。
上司・先輩は案外そういう姿を見ているのだ。
言われたことを”何でですか?”といちいち聞き返してくる部下や後輩は、いずれ声を掛けなくなる。
結果、その部下、後輩は経験者から教えを乞うという、貴重な成長の機会を失うことになる。
だから何を命令されても、まずは素直に”はい”ということ。
そのことを、まずは伝えたいのだ・・・周囲から評価が低いと思われている部下には。
自分が無能の極致だったからこそ気付くことのできた、素直さの価値。
自分が教える”側”の人間になって、ようやくあの黒歴史を良い経験と捉えることができるようになってきた。
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